PTA広報誌「千石」巻頭言 大人も楽しめる学校に
- 公開日
- 2024/07/23
- 更新日
- 2024/07/23
校長室より
今年度から四中は、『コミュニティスクール』(地域の学校)としての歩みを始めました。
これは平成27年の中教審答申に基づき、国が進めてきた政策の一環ですが、昭和を生きた施政者たちは、「古き良き日本」の再来を、自らの郷愁と共に夢見たのかもしれません。
町内を歩けば、口うるさい婆さんがいて、怖いおっちゃんがいて、世話焼きのおばちゃんがいて、優しい爺さんがいて、いろんな大人の目の中で子供たちが育っていた時代。
みんなが貧しくって、それゆえ「困ったときはお互い様」、人への情けが自分の身を助けることも実感できた時代。ご近所さんは、令和の今より確かに深くつながっていました。
子供が幼いころには、「買い物?赤ちゃん預かっとこか?」「上の子熱出したん?下の子うちで面倒見とくで!」なんて世話を焼き合い、ヤンチャなころには「もう暗いで!お家の人が心配するから帰り!」「こら!そこは入ったらあかん!」なんて、どこのうちの子でも平気で𠮟りとばし、町の大人たちはそんなふうに、肩ひじ張ることもなく、自然に協力して、町の子を育てていました。
ただ、令和の『コミュニティスクール』が、そんな「昭和の町」の大人と子供の関係の再現を夢見ているのなら、それは非常に困難だと言わざるをえません。
良くも悪くも、今はご近所さんに頼らなくても生きてはいける時代になりました。そして、お互いがお互いのプライバシーを尊重して生きていく時代にもなりました。
経済上・生活上の支え合いを必要とせず、人づきあいそのものをわずらわしいと考えられるほどの「贅沢な」時代を、今私たちは生きているのです。もう昭和には戻れません。
ただし、時代がいくら進もうとも、私たちの脳はそれほど進化していないと言われています。つまり、脳は、狩猟採集時代に適した状態のままなのだと。
それを信じるならば、我々は、本当はコミュニティの仲間と力を合わせて生きていくことを求めています。そして、コミュニティの発展を、つまりは「わが町の」子供たちの健やかな成長を、本能的には求めているはずなのです。
「ちょっと気が引ける」「ちょっと面倒」「知ってる人もいないし」という心の壁の向こう側に、みなさんの本能が求めている喜びがあります。
『コミュニティスクール』とは、大人も楽しめる学校。みなさんが心の壁を取り払い、触れ合う機会を増やせるよう、そして幸せを感じる瞬間を増やせるよう、運営協議会の方々と手を取り合って進んでまいります。