平和集会の話
- 公開日
- 2012/10/15
- 更新日
- 2012/10/15
校長室だより
昭和20年8月6日8時15分、広島に一発の原子爆弾が落とされ、一瞬に街は燃えつくされました。帰る家や慣れ親しんだ暮らし、大切に守ってきた文化までもが失われてしまいました。
——「広島が無くなっていた。何もかも無くなっていた。道も無い。辺り一面焼け野原。悲しいことに一目で遠くまで見える。市電の線路であろう道に焼け落ちた電線を目安に歩いた。市電の道は熱かった。人々の死があちこちにあった。」——
これは、当時20歳の女性が見た街であり、被爆者の誰もが目の当たりにした広島の姿です。原爆は、かけがえのない人の命を簡単に壊してしまいました。
当時16歳の少女は、大切な家族を次々と亡くしました。
——「7歳だった弟は、被爆直後に全身火傷で亡くなり、ひと月後には、父と母、そして13歳の弟と11歳の妹が亡くなりました。ただ一人、生き残った3歳の弟も、その後、癌で亡くなりました。」——
広島では、赤ちゃんからお年寄りまで、14万人もの尊い命が失われました。
ところで、2年前の3月11日は、自然災害に原子力発電所の事故が重なる未曾有の大惨事が発生した忘れ難い日となりました。今も苦しい生活を強いられながらも、前向きに生きようとする被災者の皆さんの姿は、67年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります。
今改めて、被爆者の体験と願いを世界に伝え、核兵器がなくなり、世界が平和であるよう、みんなで力を合わせていきたいと思います。
その願いを込めて6年生のみなさんが、21日からヒロシマに出発します。
最後に、力いっぱいの拍手で東小学校のみんなの気持ちを6年生のお兄さん、お姉さんに送りましょう。