学校日記

さだ子と千羽鶴のお話で知った「原爆の子の像」も見ました。

公開日
2021/10/17
更新日
2021/10/17

学校行事

 2歳で被爆した佐々木禎子さんは、6年生の時に白血病と診断され、8ヶ月の闘病生活の後、1955年の10月にそのとても短い生涯を終えたそうです。「鶴を千羽折ると病気が治る。」と信じ、薬の包み紙や包装紙などで1300羽以上の鶴を折り続けました。懸命に生きようとした「サダコ」の物語は、アメリカ人作家の手で「サダコと千羽鶴」という絵本となり世界中に広く語り継がれています。
 この後、子どもたちが見学する平和資料館には、禎子さんの折ったとても小さな鶴が展示されています。禎子さんは、「つらい」「いたい」という言葉をひとことも口にすることなく、ただ、祈りをこめて必死に鶴を折り続けたそうです。禎子さんは、子どもたちと同じ学年の6年生。この修学旅行と同じ10月まで禎子さんは折り続けたそうです。放射能による影響は、10年という長い年月が過ぎてもなくなることはありません。この事実をしっかりと受け止めてほしいと思います。