学校日記

今日も放送集会でした。

公開日
2012/01/30
更新日
2012/01/30

写真で紹介

 1月30日(月)、いつもなら全校集会ですが、大事をとって放送集会にしました。
 内容は
○防火図画の表彰
○美化委員会からのお願い
 ・トイレの使い方について
 ・上ぐつのはき方について
○校長先生のお話


 みなさん、おはようございます。先週はインフルエンザによる「学校閉鎖」で大変でしたね。かかっていた人はどうですか。まだまだ油断できません。手洗いとうがいをしっかりして、家ではぐっすり寝てしっかり食べて、すっきり出すなど、生活リズムを整えて身体に力を付けて予防しましょうね。
 今日は、美化委員会の人たちから校内の掃除についてお話がありました。そう言えば、学校のおトイレや教室、廊下・階段など、ずいぶんきれいになってきました。これは、みなさんがお掃除の時間に一生懸命、ほこりやゴミを取っているからです。毎日の努力の結果だと思います。
 今日は、その努力の話をします。
 その昔、アメリカに左投げ左打ちの大リーガー、「ピート・グレイ」という選手がいました。彼は、子どもの時、電車と野球が大好きな少年でした。5歳の時、お父さんに連れられてメジャーリーグの野球を見ました。その試合は応援しているチームが1対0で負けていましたが、2アウト、ランナー1塁で逆転ホームランを目の当たりにしたのです。感動した彼は、その時から「メジャーリーガーになりたい」と大きな夢を抱いたのです。
 それから毎日、夢に向かってお父さんと練習しました。ところが、6歳の時に事故にあって大けがをしてしまいます。
 「もう野球はできない」と悲しむピート・グレイに向かって、お父さんは「あきらめるな。人間やる気になればできないことなんてないんだ」と励ましたのです。少年は練習に練習を重ね、ついに夢が叶って大リーグに入れました。
 バッターボックスに立った彼の第一打席目、長年の夢が実現した瞬間でした。しかし、結果は3球3振。ところがどうでしょう。観客は総立ちになり、彼に大きな拍手を送ったのです。
 実は、6歳の時、大好きな電車を見に行き、列車に巻き込まれて右腕をなくしていたのです。そうです。ピート・グレイは、片腕の大リーガーだったのです。後に彼は言いました。
 「私には夢があった。不自由な身体で、毎日の練習こそが全てだった。いくら練習をしても、こんな私にやってくるチャンスはわずかしかなかった。それでも、私は夢をあきらめずに、夢に向かって努力してきた。夢があったからこそ、私は生きることができたのだ」と。彼は、1年で大リーガーをやめ、その後は少年野球の指導を続け87才で10年前に亡くなりました。
 みなさんも新しい年を迎え、自分の夢に向かって努力を重ねてほしいと思います。これで校長先生の話を終わります。
                          平成24年1月30日(月)


 今日の東小学校は、お休みの人の数もずいぶん減ってきました。この調子で、みんな元気に学校に来てほしいです。