最新更新日:2024/04/15
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児童集会

 おはようございます。
 今週から2月が始まります。2月と言えば,1年間で一番寒い時期です。また、インフルエンザが流行する時期でもあります。インフルエンザにかからないためにも、いつも言いますが『マスク着用』・『手洗いの励行』・『教室の換気』はもちろんですが、やっぱり規則正しい生活を一番に心がけてほしいと思います。
 さて、昨日2月4日は何の日か知っていますか?
 2月4日は,『立春』とい言います。
 「春の始まりの日」ですが、『冬の寒さの底のころ』でもあります。ここから2週間ほどが一年で一番寒い時期だと言われています。でも、その後は少しずつ暖かくなっていきます。この真冬の寒さに負けず、インフルエンザに負けないに西小学校をみんなで作っていきたいと思っています。
 さて、運動場にある銅像の人、みなさん誰か知っていますか?
 この銅像の人は、二宮金次郎(にのみや きんじろう)と言って、江戸時代後期の人です。本名は二宮尊徳(にのみや そんとく)と言います。二宮金次郎は、小田原市の農家に生まれ、5歳の時に大洪水で田畑が耕作不能になり没落しました。14歳で父、16歳で母が他界し兄弟は散り散りに。二宮家はもともと中流の地主でしたが、父が病弱であったため、尊徳は父に代わって農作業にはげみました。また、近くを流れる酒匂川の治水工事にも参加していました。
 二宮金次郎は、勤勉な模範として象徴される人物です。二宮金次郎像の薪を背負って歩きながら本を読む姿が示すように、国が金次郎の勤勉・倹約の精神を教育の象徴としたかったため、戦前(第二次世界大戦前)に全国の各小学校に建立されたそうです。
 彼が読んでいた本は、父親の本だったそうで、父亡き後、金次郎は父が大事に読んでいたその本の中に、両親が自分に教え示そうとした道を見いだそうとしたそうです。 彼は、決して勉強が好きで本を読んでいたのではなく、ただ必死で、これからどう生きていくべきなのかを求めていたそうです。
 晩年二宮金次郎は、優れた発想と実践力で多くの農村復興や財政再建を成し遂げました。この二宮金次郎の生き方を、渋沢栄一や豊田佐吉、松下幸之助など、多くの実業家も学び生かしたと言われています。子どものころ貧しくとも頑張って家の復興をしたのはすごいことですが、自分が家も再興しお金を持った後もそこから農村の復興やいろいろ困っている人を助けたところが本当にすごいと思います。
 そんな偉大な二宮金次郎の銅像の周りを、校長先生は毎日掃除しています。それは、「学校の玄関」、「二宮金次郎の銅像の周り」が汚い学校はダメな学校だと校長先生は思うからです

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貝塚市立西小学校
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