最新更新日:2024/05/07
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教育目標 豊かな心を持ち、学び合い、ともに育つことのできる葛城の子の育成

平和登校日

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 みなさんは、おはようございます。
 この8月は、日本の歴史の上で特に心に刻まなくてはならない、とても大切な月です。今から71年前、皆さんのおじいさんやおばあさん、ひょっとしたらもひとつ前のひおじいさんやひおばあさんの時代です 日本はどのような状況にあったと思いますか。
 日本はアメリカや世界の国々と戦争をしていて、その戦争の真っただ中でした。戦地ではたくさんの命がなくなりました。
 7月には大阪にもB29という飛行機がやってきて空から油をつめた焼夷弾という爆弾がたくさん落とされ、大阪一帯が焼け野原になりました。貝塚でも、海岸部の北校区や東校区にも焼夷弾が落され、家が燃え、たくさんの人々が亡くなりました。11歳だったある方は、当時の様子を次のように語っています。
「突然、シャー、ドン。という音がしたので、家の外に出ました。空を見るとパッと光って、パラパラ、パラパラと火の粉が落ちてきました。その時、急におじいちゃんのことが気になり家の中に飛び込みました。おじいちゃんは病気で寝たきりで、身動きすらできなかったのです。奥の間を見ると、すでに火がついて燃え上がっていました。今でもその時の光景が目に焼きついて忘れられません。」
 このように、戦争は国内に住んでいた人々もたくさんの犠牲がありました。
そして1945年8月6日午前8時15分広島に世界で初めて原子爆弾が投下され、14万人もの命が一瞬のうちになくなりました。その3日後、8月9日午前11時2分長崎にも原子爆弾が投下され7万人以上が亡くなられ、ほかにも大勢の人々が原子爆弾の放射能の長く重い苦しみを背負うことになりました。
 そしてついには8月15日、日本は、終戦を迎えることになりました。
 ここに一つの詩を紹介したいと思います。
 広島の爆心地から3キロメートルの地点で被爆された、峠三吉いう人の詩です。
   ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ
   わたしをかえせ わたしにつながるにんげんをかえせ
   にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
   くずれぬへいわを へいわをかえせ
 戦争は、本当に悲惨なものです。兵隊として戦場に行った人だけでなく普通に生活している女の人やお年寄り、子どもまでの命を一瞬に奪い、すべての物を焼き尽くしてしまいます。みんな一緒に楽しく生活を送る夢もすべて失ってしまいます。
戦争の恐ろしさ、平和の大切さを学び、伝えていくのは私たちの使命です。
 戦争の悲惨さ、平和の大切さを忘れないよう、また2度と戦争という過ちを繰り返さないよう、みんなでしっかり学習してほしいと思います。

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